国内・国外における研究状況及び特色・独創的な点
①中皮腫早期診断システムの確立に関する研究・開発
(国内外の研究状況)
近年、胸腔鏡が胸膜中皮腫の診断に有用であることが報告されている。臨床的に最も問題となるのは胸膜中皮腫と良性石綿胸水の鑑別であるが、胸腔鏡検査により、隆起病変を認める場合などは鑑別が比較的容易であるが、胸膜中皮腫でも早期症例では隆起病変や胸膜の不整などの所見を認めない場合があり、その場合は鑑別が困難であると報告されている(玄馬顕一:「アスベストばく露によって発生する中皮腫等の診断・治療・予防法の研究・開発・普及」研究報告書。平成20年4月独立行政法人労働者健康安全機構)。
胸膜中皮腫の早期病変に特徴的な画像所見として、胸部CTにおける縦隔側の肥厚の有無が有用であることが報告されているが、このような所見は良性石綿胸水においても少なからず認められている(加藤勝也:厚生労働省委託研究「石綿による疾病に係る臨床・病理・疫学等に関する調査研究報告書。平成21年2月独立行政法人労働者健康安全機構)。
Passらは、中皮腫における血清オステオポンチン濃度を測定し、その有用性を報告している(Pass et al. N Engl J Med 2005)。しかし他の癌種においても発現が見られるため、転移性胸膜炎との鑑別には問題があるとの報告もある。またRobinsonらは、血清中の可溶性メソセリン関連蛋白[SMRP]について中皮腫の早期診断マーカーとして有用であることを報告している(Robinson et al. N Engl J Med 2005)。しかし組織型別では上皮型では高値を示すものの、肉腫型や二相性の一部では高値を示さず、また卵巣癌や膵臓癌でも高値を示すため、中皮腫における特異性は乏しいとの報告もある。またHinoらは、N-ERCメソセリンについて、その測定が中皮腫の診断マーカーとして有用であることを報告している(Shiomi K et al. Clin Cancer Res 2008)。
(特色・独創的な点)
労災病院グループでは、以前から数多くの中皮腫症例の診断・治療にあたっており、関連施設も含めて平成17年から19年の3年間でも100例を超える中皮腫症例を経験している。労災病院グループでは特にここ数年、職業性の石綿ばく露があり、胸水貯留や胸膜肥厚を呈する症例に対しては積極的に胸腔鏡検査を行い、免疫染色を含めた病理組織学的な検討に基づいて中皮腫を診断している。この過程で中皮腫に加え他施設では例を見ない多数の良性石綿胸水症例も経験しており、確固たる診断に基づいた中皮腫あるいは良性石綿胸水症例の検討が可能である。
②胸膜中皮腫に対する治療法の開発に関する研究・開発
(国内外の研究状況)
胸腔内温熱化学療法は、癌性胸膜炎に対する治療法として開発され(稲岡正巳ら 日胸外会誌 1987;35:405-411)、これまでに、癌性胸膜炎や悪性胸膜中皮腫に対して試みられたいくつかの報告がある。最近、Richardsらは悪性胸膜中皮腫に対し、胸膜切除/剥皮術後に種々の量のcisplatinを灌流液に添加して胸腔内温熱化学療法を行い、低用量 のcisplatin(50~150㎎/㎡)を用いた症例に比べ、高用量のcisplatin(175~250㎎/㎡)を用いた症例の生存率が有意に高かったことを報告した(Richardsら.J Clin Oncol.2006;24:1561-7 )。これは、胸腔内温熱化学療法の有効性を示唆する結果として注目される。
(特色・独創的な点)
悪性胸膜中皮腫は、胸膜をびまん性に進展すること、手術を行っても胸壁などの局所での再発が多いことが特色である。胸腔内灌流温熱化学療法はこのような性質を示す腫瘍の局所制御に適した治療法としてその有用性が期待される。しかし、これまでにその安全性に関する研究成績は殆どない。
③切除不能胸膜中皮腫および腹膜中皮腫に対する化学療法の有用性についての検討に関する研究
・切除不能胸膜中皮腫に対するPemetrexed単剤による維持療法の有用性に関する検討
(国内外の研究状況)
現時点における切除不能の胸膜中皮腫に対する標準的治療は、Cisplatin+Pemetrexed併用療法である。しかし、その生存期間中央値は9.2~12.1か月と報告されており、その効果は必ずしも十分とはいえない。また、高齢者が多い胸膜中皮腫では、Cisplatinの投与が困難である症例も少なくない。Carboplatin+Pemetrexed併用療法についてCisplatin+Pemetrexed併用療法と同等の生存期間が得られるとの報告もある。一方、Cisplatin+Pemetrexed併用療法後の二次化学療法が、生存期間の延長に繋がるとの報告もあるが、そのレジメンについては確立されていない。また、少数例の検討ではあるが、Pemetrexed単剤による維持療法の有用性も示唆されている。
(特色・独創的な点)
本邦における胸膜中皮腫に対するPemetrexedの投与については、製造承認を目的としたCisplatin+Pemetrexed併用療法の報告のみである。また、胸膜中皮腫に対する白金製剤+Pemetrexedに引き続いて行う維持療法の有効性についての検討は、海外でも行われていない。
原発性肺がんにおいては、Pemetrexed単独維持療法が有効であることが報告されているため中皮腫での有用性が期待される。
・腹膜中皮腫に対する化学療法の有用性に関する検討
(国内外の研究状況)
腹膜中皮腫に対する標準的治療といえる治療法はない。切除不能の胸膜中皮腫に準じて、白金製剤 + Pemetrexed併用療法等の治療が行われているのが現状である。しかし、腹膜中皮腫に対する化学療法の報告は少なく、国内からの報告は症例報告のみであり、海外からの報告でもPemetrexedを含む化学療法としてはExpanded Access Program (EAP)の結果が報告されているのみである。また、多量の腹水貯留例が多い腹膜中皮腫で症例では、大量の輸液を必要とするCisplatinの投与が困難である症例も少なくなく、EAPにおいても109例中34例ではCarboplatinとの併用が行われていた。
(特色・独創的な点)
本邦において腹膜中皮腫に対する化学療法は、症例報告レベルの報告しかなく、Pemetrexedを含むの臨床試験の報告は皆無である。また、腹膜中皮腫に対して、白金製剤+Pemetrexedに引き続き行う維持療法の有効性についての検討は、海外でも行われていない。
④腹膜中皮腫の画像診断についての研究
(国内外の研究状況)
腹膜中皮腫は中皮腫全体の約20%に過ぎず比較的稀な疾患である。従って、腹膜中皮腫の画像所見についての過去の検討では、いずれも10例程度の少数例を対象としたもので、多数例での検討はなされていない。一方、平成15年から17年の3年間に中皮腫で亡くなった症例を対象とした臨床病理学的な検討では、腹膜中皮腫と診断されていた症例のうち32%では中皮腫の診断が不適当とされた。この報告では胸膜中皮腫に比べ腹膜中皮腫の診断精度が低く、特に他臓器原発の癌性腹膜炎と腹膜中皮腫との鑑別が困難であったことが示されている。中皮腫の診断精度の問題は、免疫染色を含む病理学的な診断に起因する部分が大きいが、CT等の画像診断の診断精度の向上も望まれている。
(特色・独創的な点)
腹膜中皮腫に特徴的な画像所見を、臨床上鑑別が問題となる癌性腹膜炎と比較して明らかにするという検討は国内では皆無であり、海外でも少数例での検討しか行われていない。また、我々が考案したCT Indexは、腹膜中皮腫に特徴的な画像所見の有無を点数化して、腹膜中皮腫における画像診断の精度向上の試みは他に類を見ない独自のものである。
⑤大田区石綿工場にかかる近隣ばく露と職業性ばく露の関与についての調査研究
(国内外の研究状況)
石綿工場あるいは石綿鉱山周辺住民の近隣ばく露による中皮腫発症のリスクに関しては、国内では尼崎市の石綿セメント管製造工場周辺住民に関する研究(Kurumatani N, Kumagai S:Am J Respir Crit Care Med 2008;178:624)があり、国外ではヨーロッパ、米国などでの研究がいくつかある(Newhouse ML, et al.:Br J Ind Med 1965;22:261、Berry M: Environ Res 1997;75:34、Howel D, et al.:Occup Environ Med 1997;54:403)。これらの研究の結論ではばく露源から少なくとも2km前後の範囲まで、近隣ばく露による中皮腫のリスクが上昇するとされる。ただし、使用されていた石綿の種類はそれぞれ異なっており、クロシドライトが多く含まれている。
国内では、最近いくつかの石綿工場周辺住民に対して石綿健康リスク調査が行われ、報告書が公表されている。大阪府、尼崎市、鳥栖市、羽島市、奈良県、横浜市で行われた調査では、近隣ばく露による胸膜プラーク例が発見されており、プロット図から見ると、概ね1km以内に分布している。
(特色・独創的な点)
従来の近隣ばく露に関する研究では、職業歴(特に間接職歴)や家庭内ばく露などが十分に問診されていない場合が多かった。この点を詳細に検討し、近隣ばく露と職業性ばく露の関与について明らかにする。また、石綿工場周辺住民の近隣ばく露による影響は、以前操業していた工場で取り扱われていた石綿の種類、工場の規模、操業年数、住宅の密接度、工場周辺の屋外での遊びの有無等によって異なる。東京都内にも以前石綿取扱い工場は多く存在しており、モデル的なケースとして調査研究を行いたい。
⑥石綿小体を形成する蛋白質の分析研究
(国内外の研究状況)
石綿ばく露の定量的な指標として位相差顕微鏡による石綿小体の観察は従来専門施設にて行われている。しかし位相差顕微鏡で観察できる石綿は長さ5μm以上で、幅は0.3μm以上であり、生体内や大気中に浮遊している石綿そのものを観察することが出来ない。近年、生体肺試料・肺胞洗浄液・喀痰・胸水等を観察対象に分析透過電子顕微鏡(ATEM)による石綿繊維の分析・定量が行われている。また石綿そのものの質的な違いを評価するために、エネルギー分散X線(EDX)スペクトル解析も行われており、クリソタイル・アモサイト・クロシドライト・トレモライト・アクチノライト・アンソフィライト等それぞれの石綿に特徴的なスペクトル解析が行われている。
(特色・独創的な点)
国内外の研究状況を概観しても、石綿小体を構成するタンパク質を対象として、その質的な解析を詳細に行った報告はない。多数のタンパク質複合体である生体由来サンプルを用いてタンパク質同定を行うためには、従来用いられているアミノ酸シークエンス法では不可能である。そこで我々は近年技術革新が著しい質量分析を用いたタンパク質解析を用いることとした。石綿小体を構成するタンパク質は、微量かつ多数のタンパク質の複合体であると予想される。したがって石綿小体由来のタンパク質全体をそのまま質量分析しても十分な情報を得ることが難しいと予想され、液体クロマトグラフィーによる分離を行いながら順次質量分析を実施できるシステムが必要である。今回我々は、島津製作所が開発した最新鋭の液体クロマトグラフィー型質量分析計(LCMS-IT-TOFシステム)を用い、石綿小体を構成するタンパク質の網羅的一斉解析を試みる。
最新鋭の質量分析装置と専任の研究員の解析能力を臨床研究に応用する点が今回の研究の特色・独創的な点である。
⑦石綿健康管理手帳を受けている人のデータベース化研究
(国内外の研究状況)
全国労災病院で経験した221例の中皮腫の発見契機を検討したところ、平成18年以前の症例に比べて、それ以降の症例では健診による発見比率が高くなっており、健診の重要性が示唆されている。
同研究において乾燥肺1g当たりの石綿小体数は胸膜プラークを有する群のほうが有しない群に比べて多くみられたため、胸膜プラーク群は石綿高濃度ばく露群と考えられた。胸膜プラークの画像診断は、典型例では容易であるが、肋間静脈との鑑別、軽微例の診断で困難な場合がある。北海道中央労災病院において胸膜プラークの診断のために詳細に検討された胸壁3D表示法の知見があり、それに基づいて胸膜プラークの検討ができる。
(特色・独創的な点)
第1期中期計画において、労災病院における中皮腫、石綿肺がんなど石綿関連疾患の臨床像を明らかにした。その中で、中皮腫、肺がんは予後が悪く、予後を改善するには早期発見症例を増やすことが必要であると指摘された。一方、この数年、石綿健康管理手帳の交付要件が緩和され、手帳の交付件数とそれに基づく手帳健診の件数が増加しており、手帳健診により早期発見される症例が増えることが期待される。この時期に手帳健診のデータベースを作成し、疾患のデータベースに結びつけることにより、石綿関連疾患の早期診断における手帳健診の役割を検討でき、今後、健診発見群は予後の改善につながっているかどうかを検討するための基礎データになる。
胸膜プラーク、石綿肺所見を有する者は高濃度の石綿をばく露したと考えられる。これらの所見を有する者を抽出して検討することにより手帳健診受診者のうち、石綿高濃度ばく露群の背景、石綿関連疾患の発生状況を検討することができる。
手帳健診の症例を全国労災病院において収集することにより症例数が増えデータベースの信頼性が増す。また、労災病院は全国各地域に石綿関連疾患の診断・治療に造詣の深い医師を有しているため、それぞれの医師間で同一の基準を作り症例を収集することが可能でデータベースの精度が増す。このような全国調査は初めてのものであり、全国調査において症例数、研究精度を高めるために労災病院が果たしている役割を示すことができる。
手帳健診のデータベースを作成する際に胸膜プラークの診断が重要であるが、診断のための良い手引書がないのが現状である。全国の集計をする際に、これまでに培った胸膜プラークの診断に関する知見を用い胸膜プラーク診断の、統一した基準を用いて症例を検討する。
⑧中皮腫、石綿肺がん、良性石綿胸水、びまん性胸膜肥厚の症例のデータベース化研究
(国内外の研究状況)
中皮腫について、国内の各施設から症例報告が出てきているが、症例数が少ない疾患なので、統計的な処理が難しい。また、良性石綿胸水びまん性胸膜肥厚についても症例報告すらなく、診断基準等の詳細な研究はなされていない。
(特色・独創的な点)
我々労災病院グループでは全国30の労災病院のみならず国立病院機構にも症例提供をお願いして、多数例の検討を行う予定であるので、外国の症例検討に匹敵するようなデータが収集可能であると思われる。
⑨石綿肺患者におけるIgEおよびIgG4の役割と吸入アテロイド療法の意義に関する研究
(国内外の研究状況)
石綿肺の慢性咳嗽に対する吸入ステロイドの有効性についての研究報告は,現時点においては見当たらない。石綿ばく露歴を有する者が,石綿ばく露歴のない健常者と比較して,血清IgE値が高値を示すことが報告されているが,アレルギー性疾患の合併率やどのようなアレルゲンに対してRASTが陽性を示すかという検討はされていない。
石綿ばく露が,IgG4関連疾患である後腹膜線維症や胸膜線維症の発症因子となる可能性が指摘されているが,石綿肺における血清IgG4値やIgG4関連疾患の合併頻度についての検討を行った報告は見当たらない。
(特色・独創的な点)
石綿肺においては,通常の鎮咳剤抵抗性の咳嗽を認める場合が多く,それに対する吸入ステロイドの有効性が検証されれば,石綿肺患者にとって大きな恩恵となる可能性がある。
また,石綿肺におけるアレルギー性疾患の合併率や一般的なアレルゲンに対するRAST陽性率が明らかにされれば,吸入ステロイドの有効性の理論的裏付けが得られる。
石綿肺における血清IgG4値やIgG4関連疾患の合併頻度の検討は,近年,注目されているIgG4関連疾患の発症機序や病態の解明に寄与する可能性が期待される。
以上の事項について検討した報告は見当たらず,労災疾病の重要な位置を占める石綿肺の病態解明や治療方法の開発に寄与する可能性が期待される。
⑩石綿関連疾患の石綿小体・繊維の肺内分布に関する研究
(国内外の研究状況)
石綿肺がんの発生部位別では、一定の傾向はないと報告されているが、発生部位における石綿小体あるいは繊維の分布あるいは種類とがんの発生に関係した報告はない。また、中皮腫や石綿肺についても同様の調査報告はない。
(特色・独創的な点)
日本人における石綿肺がん、中皮腫についてその原因となる石綿の種類とともに発がんが石綿小体・線維の多い箇所なのか、異なるものかが明らかとなる。
医療・医学を通じたアジアへの貢献
本分野の研究成果はアジア諸国から高く評価されており、特にモンゴルについては、研究成果や知見の伝承のため、モンゴル国健康省から我が国の厚生労働省へ、アスベスト関連疾患とじん肺の専門家の派遣要請がなされました。その要請を受けて、当機構の専門医師らが平成22年8月にウランバートルを訪問し、早期診断法・予防法の伝承研修「炭鉱労働者のじん肺とアスベスト関連疾患の診断と治療のための実践ワークショップ」を実施しました。その結果、労災病院グループに蓄積されている知見がアジア諸国に強く必要とされていることが明らかになりました。
本冊子は、そのワークショップの記録を中心に、ワークショップをさまざまな角度から総括・検証し、今後の展開を検討した座談会の内容や、当機構で行っている医学研究の概要及びアジアにおけるアスベスト問題についての寄稿などを掲載しております。
国内の関係各位はもとより、ひろくアジアの国々の皆さんのお役に立つことを願います。
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アジアにおけるじん肺、アスベスト関連疾患の診断と治療を確立するために 発 者 :独立行政法人 労働者健康安全機構 |
第Ⅰ章 | 労働者健康安全機構における「粉じん等による呼吸器疾患」及び「アスベスト関連疾患」研究の概要 |
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第Ⅱ章 | モンゴル国ウランバートル医科学大学におけるワークショップより |
第Ⅲ章 | アジアにおけるじん肺、アスベスト関連疾患の予防・診断・治療の向上に向けて |
コラム | もう一つのアジア支援 ―ベトナム人医師への中皮腫診断・治療研修の受け入れ― |